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熊本地方裁判所 昭和36年(ワ)8号 判決

原告 岡崎昭子

被告 国

訴訟代理人 樋口哲夫 外三名

主文

被告は原告に対し金十五万円及びこれに対する昭和三十六年一月十五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文第三項同旨並びに「被告は原告に対し金七十五万円及びこれに対する昭和三十六年一月十五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。」との判決を求め、請求の原因として、

(一)  原告は昭和二十一年三月長崎県立対馬高等女学校を卒業、昭和二十四年四月国立大村病院付属高等看護学院に入学、昭和二十七年三月卒業後同病院看護婦助手、看護婦となり、同年六月甲種看護婦国家試験に合格、昭和三十年一月三日辞職、翌四日防衛庁に入り三等陸尉に任官、昭和三十四年八月一日二等陸尉に昇進、昭和三十五年九月十五日依願免本官となつたものであるが、これより先、昭和三十二年八月一日針尾駐屯部隊から熊本駐屯部隊に転属、熊本地区病院(以下、地区病院と略称する。)に勤務していたところ、昭和三十四年六月六日多発性関節ロイマチス症に罹り、地区病院に入院、同年九月四日休職(二カ月間)、同年十月十二日国立鹿児島大学付属霧島分院に転院治療中昭和三十五年一月八日一酸化炭素中毒症を併発、同年四月二十五日地区病院に転院、同年五月十八日退院、自宅療養(約二カ月間)を命ぜられ、同年六月四日休職(二カ月間)となつていたものである。

(二)  そして、原告は

(1)  同年七月二十二日復職の件で地区病院に出頭、同日、翌二十三日熊本大学医学部付属病院(以下、大学病院と略称する。)の内科、精神神経科の診察を受け、同月二十五日同病院の診断通報書を地区病院副院長二等陸佐坂田亮明(以下、副院長と略称する。)に提出し、

(2)  前同日地区病院看護課室に挨拶に行つたところ、同課長一等陸尉山崎昌子(以下、山崎課長と略称する。)より復職意思の有無を尋ねられ、「今暫く休ませて下さい。この状態では勤めたくもありません。」と答えたのに対し、怒気を含めた威圧的口調で「それではあんた困るでしよう。勤める以上はてきはき勤めて貰わなくては困る。」と怒鳴られたので、副院長室で副院長に対して右の事情を述べていたところ、山崎課長が「この人は私がいくら親切に言つて聞かしても言うことをきかない。」と報告したので、立腹して右手で同課長の左頬を撲つて了つた。

(三)  ところが、地区病院長一等陸佐中島弘二(以下、地区病院長と略称する。)は原告を精神病患者として原告の同意なしに、

(1)  前同日、翌二十六、二十七日の三日間同病院の宿舎に軟禁同様に収容し、

(2)  同月二十八日大学病院精神神経科の病室に入院させ、

(3)  翌二十九日精神病院熊本県立小川再生院(以下、再生院と略称する。)に転院、第二病棟二号室に、翌三十、三十一日、八月一日の三日間同病棟の施錠鉄窓のある他の女子重患者四十五名と雑居の六号室に入院させて、

監禁し、原告は地区病院長の右不法行為により身体の自由を奪われ、かつ、その名誉を毀損され、甚大な精神的苦痛を被つたので、被告は国家賠償法により原告に対し少くとも金七十五万円の慰藉料を支払うべき義務がある。

(四)  そこで、被告に対し慰藉料金七十五万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和三十六年一月十五日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。と述べた。

〈立証 省略〉

被告指定代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求め、答弁として、

(一)  請求の原因事実の中、(一)の事実(ただし、原告が一酸化炭素中毒症を併発した点を除く。)、(二)の中(1) の事実及び原告が地区病院副院長室で山崎課長を殴打したこと、(三)の中地区病院長が原告をその主張の期間地区病院の宿舎に収容し、その主張の日大学病院の病室に入院、再生院に転院させ、その主張の期間同病院の病室に入院させたことは認めるが、その余の事実は争う。

(二)(1)  原告の有給休職期間は昭和三十五年九月三日で満了するので、地区病院長は原告のためを計り軽度の勤務を用意して原告に再三復職を勧告したが、原告は他覚的には治癒しているものと認められるにかゝわらずこれを肯じないので原告を納得させるため大学病院の診察を受けさせたところ、原告は同年七月二十二日同病院第一内科において「著明な症状はなく、むしろ精神科の診察を先決とする。」との診断を受け、翌二十三日、同月二十五日同病院精神神経科において「精神分裂症の疑い。」との診断を受けたものである。

(2)  原告は前同月二十五日地区病院副院長に右診断の結果を報告した後、同病院看護課長室で山崎課長より「今後どうするのか。」等種々穏かに尋ねられていたのに、急に怒り出し、机を叩いて室外に飛び出し、その侭直ちに副院長室の副院長に訴えたので、副院長は山崎課長を呼んで事情を訊すこととした。同課長は別に気に障るようなことは言わなかつたといつたのに、原告は急に怒り出し、机を揺すつたので、同課長が「えらい元気があるわね。」といつたところ、原告は同課長の顔を二、三回殴打し、その侭同室の床に泣き崩れ放心状態に陥つて了つたものである。

(三)  地区病院長は原告が前述のとおり大学病院で精神分裂症の疑いありとの診断を受けており一人下宿している原告を下宿先に帰すのは余りにも無責任で原告のためにもならないから原告の親族に引渡すのが最善の措置であると判断し、

(1)  前同日原告の親族岡崎和太郎(呉市在住)招致のため山崎課長を出張させ、同親族の来着まで一時同僚の看護の下に安静を図るのが最適と考え、原告を地区病院のナース宿舎に入室させていたが、

(2)  原告の親族は来着せず、一方、原告は宿舎で十分食事を採らない状況にあつたので、精神専門医のいない地区病院内にその侭留置くことは適切でなく同専門医のいる大学病院において看護を受けるのが最も適切な措置と判断し、原告の同意を得て、同月二十八日夕刻大学病院精神神経科の完全開放(無施錠、出入自由)の病室に入院させたが、

(3)  翌二十九日同病院より「原告が暴れて困る。取扱いかねるから引取るか、適当な他の病院に入院させるようにしてほしい。」旨の連絡があり、同病院の「再生院に転院させたらどうか。」という示唆に従い、原告の同意を得て、再生院に転院(精神衛生法第三十四条にいわゆる仮入院)させたものである。

(なお、原告が当初入室した病室は出入自由な開放病室であつたが、その後、準開放病室に移されたことは地区病院長の関知するところでないから、同病院長には責任がない。)

かように地区病院長が原告に対してとつた前記各措置は全く原告のためを思つた善意の人道的正当理由に基く看護措置であつて、不法監禁といわれる筋合いのものではなかつた。

(四)  仮に、再入院の仮入院につき原告の同意がなかつたとしても、

(1)  原告は右入院当時、入院相当の病状にあつたものと認められるから、地区病院長の入院措置は雇用者として正当な行為であり、従つて、何等違法性はないし、

(2)  原告は右入院に際し特に入院を拒否する態度を示さず、右入院は前述の事情の下にやむを得ずなされたものであり、又全く無償の行為であつた本件のような場合においては、通常の場合に比し少くともその注意義務は著しく軽減され、かつその時の情況下では、本人の看護措置として必要最良のものであつたから、地区病院長が精神病院に入院させるには本人又は保護義務者の同意を要する旨の精神衛生法の規定を知らなかつた一事をもつて過失の非難を受くべき筋合ではないから

被告には不法行為の責任がない。

以上の次第で、原告の請求は失当であるから棄却されるべきである。と述べた。

〈立証 省略〉

理由

一、原告が昭和二十一年三月長崎県立対馬高等女学校を卒業、昭和二十四年四月国立大村病院付属高等看護学院に入学、昭和二十七年三月卒業後同病院看護婦助手、看護婦となり、同年六月甲種看護婦国家試験に合格、昭和三十年一月三日辞職、翌四日防衛庁に入り三等陸尉に任官、昭和三十四年八月一日二等陸尉に昇進、昭和三十二年八月一日針尾駐屯部隊から熊本駐屯部隊に転属、地区病院に勤務中、昭和三十四年六月六日多発性関節ロイマチス症に罹り、地区病院に入院、同年九月四日休職(二カ月間)、同年十月十二日国立鹿児島大学付属霧島分院に転院、昭和三十五年四月二十五日地区病院に転院、同年五月十八日退院、自宅療養(約二カ月間)を命ぜられ、同年六月四日休職(二カ月間)となつていたことは当事者間に争いがないところである。

二、そして、原告が同年七月二十二日復職の件で地区病院に出頭、同日、翌二十三日大学病院の内科、精神神経科の診察を受け、同月二十五日同病院の診断通報書を地区病院副院長に提出し、同副院長室で山崎課長を殴打したこと、並びに地区病院長が原告をその主張の期間地区病院の宿舎に収容し、その主張の日大学病院の病室に入院、再生院に転院させ、その主張の期間同病院の病室に入院させたことは当事者間に争いがなく、右事実に証人西田利男の証言により真正に成立したものと認められる乙第三第四号証の各一、二、証人古閑良幸の第一回証言により真正に成立したものと認められる同第五号証の一、二第六第七号証第八号証の四、五、証人山崎昌子、同古閑良幸、同坂田亮明(以上、各第一第二回の一部)、同西田利男、同緒方節、同森崎万千也(一部)、同南虎一、同中西[金弟]子、同山田和子の各証言、原告本人尋問の結果(一部)、再生院病室検証の結果、並びに弁論の全趣旨を合せ考えると、

(一)  原告の有給休職期間は昭和三十五年九月三日で満了するので、地区病院長は原告の利益のために再三復職を勧告したところ、原告は同年六月三十日頃一旦復職を承諾したが、同年七月二十二日他覚的にはロイマチス症状を認めることができないのに、ロイマチスによる痛みがあるから復職が困難である旨申し出たので、復職上申の取消の資料とするため、原告に大学病院内科での診断を受けるよう指示したところ、原告は同日同病院第一内科において「内科的には異常を認めない。精神科の診察を要する。」との診断を受け、翌二十三日、同月二十五日同病院精神神経科において「精神分裂病の疑い。」との診断を受けたこと、

(二)  前同月二十五日原告は大学病院の診断通報書を地区病院副院長に提出した後、副院長の指示に従いその直属上司である山崎課長に挨拶に行つたところ、同課長より「あんたこれからどうするの。」と尋ねられ、「体がきつく勤まらぬので、今暫く休ませてほしい。」と頼んだのに対し、不親切な口調で「今人数も少いし復職しててきぱき働いてくれ。」等と言われたので、副院長室に行き副院長に対して口論してきたことを述べていたところ、同課長が「この人は私がいくら親切に言つてやつてもきかぬ。」と報告し、原告が机を揺すつたのを見て、「えらい元気があるね。」と皮肉つたので、前述のように長い闘病生活のため強いノイローゼ状態にあつた原告は激昂の末同課長の両頬を二、三回平手で殴打し、副院長に制止され、同室の床に横臥して了つたこと、

(三)  地区病院長は前述のような経緯から原告を強度の精神障害者と速断した結果、原告の親族に原告の身柄を引取らせた上原告の処置を決めることとし、前同日身柄引取を依頼すべき原告の親族岡崎和太郎(呉市在住)招致のため山崎課長を出張させると共に、当時単身営外居住中の原告を下宿先に帰すのは危険であるとして、同日夕刻原告の同意なしに、原告を担架に載せて地区病院のナース宿舎の一室に収容し、同僚の看護婦を付添わせていたが、原告が食慾不振(多量のコントミンを服用させられていたため?)で食事を採らない状況にあり、一方、速かに来熊を約した原告の親族も来着しなかつたので、同月二十八日午前原告の帰宅要求を斥け、唯、入院と詐称して同日夕刻原告を救急車で護送、大学病院精神神経科の病室(自由に外出できない状態にあつた。)に入院させたが、原告が欺されたとして立腹し退院要求をして食事、睡眠をとらず坐り込み等をし、翌二十九日午前同病院より「暴れて取扱いかねるから、引取るか、設備のある病院に入院させるようにしてくれ。」との連絡を受けたので、同日午後「帰宅させる。」と詐称して原告を救急車で護送、再生院に転院、第二病棟二号室(自由に外出できない状態にあつた。)に入院させたが、原告が又欺されたとして立腹し退院要求をして食事を採らず暴れたので、同病院当局で翌三十日午後原告を同病棟の施錠鉄窓のある(女子重患者四、五名と同居の)六号室に移したところ、同年八月一日原告の親族(妹夫婦)堀向夫妻が原告を退院させ連れ帰つたものであること、

が認められ、証人山崎昌子、同古閑良幸、同坂出亮明(以上、各第一第二回)、同森崎万千也の各証言並びに原告本人尋問の結果の中右認定に抵触する部分は信用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三、原告は地区病院長が原告に対してとつた前述の(一)宿舎収容、(二)大学病院入院、(三)再生院転院の各措置は監禁であると主張するのに対し、被告は右各措置は全く原告のためを思つた善意の人道的正当理由に基く看護措置であつて違法性がない旨抗争するので、この点について判断する。

凡そ、人を看(保)護するに当つては、本人の身体、自由、名誉等に対する影響を十分考慮し、いやしくも人権の蹂躙となるような行過ぎが生じないように注意すべき義務があるものと解すべきところ、前述の原告の山崎課長に対する上官暴行事件は規律の厳正な自衛隊内部では稀有の事例に属し、当時、右事件により地区病院関係者が相当の精神的衝撃を受け少なからず狼狽したことは察するに難くないところであるが、前記乙第七号証、証人南虎一の証言によると、当時、原告の病気は精神分裂症、精神分裂症様反応、又はヒステリーの何れに当るかは不明で、その正確な診断には約二カ月間を要するものであること、証人山田和子の証言によると、原告は従前から思つたことをずばり言つたり口より手が早いというような烈しい性格の持主であることがそれぞれ認められるから、地区病院長が原告を強度の精神障害者であると速断したのは慎重を欠いたものであり、又原告の右暴行も平手打ちの程度で刃物を振廻す等の凶悪な殺傷行為に及んだものではなく、証人山崎昌子の第二回証言によると、右暴行直後原告が自殺するかもしれないというような不安な状況はなかつたこと、証人坂田亮明の第一回証言、原告本人尋問の結果によると、右暴行のあつた日の夕刻には、原告の感情が鎮静していたことがそれぞれ窺われ(証人古閑良幸、同坂田亮明の各第二回証言の中右認定に抵触する部分は信用することができない。)、なお、証人坂田亮明(第二回)、同山田和子の各証言によると、当時、原告は地区病院から約一粁離れた所で、その親友山田和子二尉方の近所に下宿していたことが認められるから、当時、地区病院長としては、即日原告をその感情の鎮静を待つて原告の親友山田二尉を付添わせる等の方法により速かにその下宿先に帰宅させるのが適切な措置であつて、地区病院長のとつた前記宿舎収容以降の各措置は原告の身体、自由、名誉等に対する影響を看過してなされたもので、看護措置としては行過ぎたものというべく、過失による監禁であるといわなければならない。

そして、右不法行為は地区病院長がその職務を行うについてなしたものであることは前記認定の事実により明らかであるから、被告は国家賠償法に基き右行為によつて生じた損害を賠償すべき責任がある。

四、次に、原告が本件不法行為により身体の自由を拘束され名誉を毀損されたことによつて精神的に重大な衝撃を受け精神上多大の苦痛を被つたことは言うまでもないところであるが、原告が上司である山崎課長に対しもつと素直で穏かな態度で臨み前記暴行をしなかつたならば、地区病院長より強度の精神障害者と速断されず、従つて、本件不法行為も亦発生しなかつたであろうことは察するに難くないところであるから、本件不法行為の発生については原告も亦相当の過失があつたものといわなければならない。

そこで、原告本人尋問の結果により認められる本件不法行為が原告において自衛宮退職を決意するに至つた重要な一因となつた事実、前述の事実、その他諸般の事情に、原告の右過失の程度を斟酌すると、被告は原告に対しその苦痛を慰藉するため金十五万円を賠償するのが相当であると認められる。

五、従つて、被告は原告に対し右慰藉料金十五万円及びこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかである昭和三十六年一月十五日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務あり、原告の請求は右認定の限度では正当であるからこれを認容し、その余は失当であるから、これを棄却することとし、民事訴訟法第九十二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 仲西二郎)

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